風のたより79号
■ 教育を受けることができたシャンティさんさて、シャンティさんの歩いて来た道「なぜ、ウーマンクラフトを始めたか?」
2002年9月29日横浜にて
小さいときから働く興味がありました。■ 夫との死別から決意したこと
14〜5歳で結婚し夫に仕えろと言われていましたが、結婚すればつきあいも親類だけで、他に場所があるのではないかと考え続けていました。
両親は学校には行っていなかったが教育が必要と知っていました。男と女の子では育てられ方が違います。食事も男の子たちが食べたあとでしたが、教育は同じようにつけてくれた。
18歳で結婚。夫は軍人で結婚後も教育を受けることができた。夫が11年前に亡くなった。亡くなった後13日間は白い衣装を身にまとい、水と砂糖だけで人に触ることも、話すこともでできませんでした。このことが1,000年前から続いています。■ ネパールでは女性は遺産を継げない
外国にも留学し学ぶことができた私ですら、困難な局面を迎えたのに、学問を受けていない人はより経済的にも大変だろうと思った。自分が受けた教育の知識を持って彼女たちに役立ちたいと思った。
夫が亡くなってから、生きていくことに必死で、2人の娘をどう育てるか、どう教育させるか思案に暮れていた。銀行にお金を貸してほしいと言っても、どこも女性には貸してくれなかった。女性は遺産を継げないため担保がない。が、外国資本の銀行がよく書けている申請書だとリスクを負い1,500,000ルピー(約200万円)貸してくれた。■ 今では、1150人に仕事を与えることが出来る組織に...
皆さんに今日お目にかかれ、当時のことを話す機会を与えてくださっている私です。今日は何を食べようか、明日何を食べようかという生活の1150人の人に仕事を与える事ができると、みなさんの前でお話しが出来るようになりました。■ 私の人生の目的はひとつ、女性の地位向上
女性は世界中どこでも弱い者、手をとりあってがんばらねばならない。それは他の生活に影響・変化をさせて行けると信じています。
ハンディクラフトセンターから支援を受け活動してきたマーケット拡大です。いつかネパールも女性の首相が現れることを願っています。私はネパールの国の開発のため諮問委員会に女性局長として、女性としてただ1人ノミネートされています。政策のところまでいかなければならないと心の中で思っています。
以上、体もダイナミックなシャンティさんと、ネパリバザーロ代表の土屋春代さんとは信頼関係を互いに培ってきたお二人とお見受けしました。仕事は人と人との関係から生まれてきます。現地の生産者さんたち、またそのとりまとめと市場へのパイプ役の団体、受け入れるフェア・トレードの団体、そして私のような小売店の立場、そしてお店に来て下さるお客様、ず〜〜〜っと、ず〜〜〜っとつながりを感じるフェア・トレード。
ん! がんばるぞと思うのがこのように現地の人のお話を聞いた時です。報告が遅くなりました。さて、壁紙に安全で素敵なネパールの手漉き紙で壁紙を張り替えてみませんか! 素人でもOKです。50×75センチ、300円。