風"s・風のたよりオンライン版


2008/6/22 No.142

風のたより141号 ピースボートより その12

■ ジブラルタル海峡
 今朝、クリッパー・パスフィック号はジブラルタル海峡を渡りました。地中海から大西洋に抜ける海峡、イベリア半島とアフリカを両サイドに見ながら狭いところは14Kmだそうです。
 岩山があるそうで、猿がいるかぎりイギリス領のような話がアナウンスされていが、途中でデッキから降りてきたので確認はできませんでした。
 昨日も航海地図の前で、ジブラルタル海峡がイギリス領だという83歳のおじいちゃんがいて「どうして? 海なのに? ちかくにイギリス領があるの?」と聞いたら「もっと勉強せい!」と言われた。
 つまり、この岩山がイギリス領のようです。海運国イギリスはいまだにこんなことをしているのかな?
■ 6月23日は何の日?
 沖縄で63年前に地上戦が終わった日です。このピースボートにも沖縄の人が乗って見えます。その人たちとピースボートの企画で昨日からシリーズを組み沖縄のことを伝えています。
 そして23日のその日は、12時から夜の10時ごろまで沖縄デーのようです。
■ さとうきび畑の戦争
 「その時歴史が動いた」という映像より沖縄の西原町(戦争当時は村)の住民47%が沖縄戦の犠牲になったドキュメンタリー映像を見ました。森山良子のさとうきび畑の歌を流してはじまるその映像は、生存している人達の証言をまじえながらその当時のことを伝えていました。
 なぜ、住民が巻き込まれたか? 戦争が起きた以上、戦闘員も非戦闘員もないのだと思うのだけれど、アメリカの国立構文書館にあった資料公開から明らかになったのは、日本軍が住民に変装して戦車に爆弾をしかけたので、住民もだれが戦闘員か区別はできないから攻撃されたということです。証人の話では女装して爆弾をしかけに行ったとのこと。またそのような生きて帰れない作戦には、現地(沖縄)で召集された補助兵、17〜45歳の人達だった。また実際には15・16歳も70歳の人も含まれていた。
■ 私と沖縄
 今をさかのぼる34年前、私たち夫婦の新婚旅行は石垣島でした。沖縄本島にも飛行機で降りました。戦車が通るために本土より高い歩道橋と囲いの向こうにひろがる芝生の基地が印象としてあっただけで、沖縄戦のことは何も知りませんでした。
 「月桃の花」という沖縄戦を描いた映画、その映画にあったガマに入ったのはその映画を見る数ヶ月前。アジア女性資料センターの沖縄スタデーツアーでのこと。赤ん坊がなくと敵に知れるので、日本兵に「泣かせるな!」と銃を突きつけられ、口を押さえた故に真っ暗な、顔も見えないガマのなかで赤ん坊の体がだんだん冷たくなっていく…….という話を聞いたあと、持っていた懐中電灯をしばし消し黙祷しました。本当に何も見えない暗闇、しずくがたれる湿気の中に身を潜め、なおかつ日本軍から銃をつきつけられた沖縄の人達。
 3回目は、フェアトレードのセミナー企画で沖縄を訪ね、ちょうど嘉手納基地を包囲して人の鎖をやるというので急遽、ツアーから離れて参加しました。熱い炎天下12000人だったような記憶ですが人の鎖はつながりました。このことは、本島での記事はほとんど掲載されていなかった。
 2007年6月には4度目の沖縄訪問で、伊江島を尋ねることができました。日本のガンジーともいわれる「あわごんしょうこう」さんの命どう宝という資料館に寄り、彼の功績、非暴力を貫いた事実を知りました。以前から聞いてはいたけれど、機会がなく生前にはお会いすることはできませんでした。この旅はアメリカで九条の会を早くからたちあげて講演など活躍のチャールズ・オバビーさんと一緒のツアーに参加した時のことです。
■ 平和について考える時
 今なお終戦後とは言えないという沖縄、迷走服や戦車が子どもたちの原風景だという沖縄、透き通る海とは反対に、沖縄を尋ねてみて暗くこころに落ちてくる沖縄の戦中と今も基地のなかに暮らしがある生活のこと、辺野古のこと。
 沖縄で何があったのか,今 辺野古でおきてることも、きちんと子どもたちに伝えていかなければならないと思う。
 学ばず大人になった人達にも知って欲しい。知るべきです。そこから日本がアジアにしてきたこと含めて平和を考えていくべきではないかと、この船で6月23日を迎えることで改めて思いました。


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