風のたより139号 ピースボートより その10 地中海にて
4つあるエンジンのうちの1つがこわれていましたが、昨日やっと直ったとのこと。みんなほっとしています。寄港地での予定が1日なくなったり、1日が半日になったりで大変でした。私は、なんとそのおかげでパレスチナ難民キャンプにいけました。1日少なくなったので予算も少なく、ペトラ遺跡との組み合わせでない分、参加者が減り、キャンセル待ちでしたがOKになったという次第。もっと言えば、船に乗った時びっくり! だって窓のない穴倉のような部屋で予約したのに窓があるのです! 何かの間違いか問いたださずびくびくしていたけど、どうも途中で船が変わったので、その関係で窓付きの部屋となったようです。どこまでもついています!■ 6月20日は「世界難民の日」(U.N. World Refugee Day)
人種・国籍・宗教などにより命にかかわる恐れがあり国外へ逃げた人や、亡命者・国籍をもたない人・国内の難民もふくめて、3160万人(2007年末)。■ 東京で6月20日 第3回難民映画祭 開催
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の統計によれば、2004年の1700万人より倍ちかく増えている。
ここにはパレスチナ難民は含まれてはいない。国連難民救済機関というところで別の扱いでパレスチナ難民は、460万人ということです。
6月20日に東京で開催されるということです。いろいろな形でふとたちどまって考える日、思いを馳せる日としてのこのような企画は意味あると思います。■ 本日船内で、「Invisible Children〜目に見えない子ども達〜」を上映
昨年も行ってみたいなと思いつつ、難民のテーマばかり見ていたら気が重くなるだろうなと思い、意識から遠ざけたような記憶がします。
船内の午前中の自主企画で開催され、世界と東京とつながっていくこの企画に参加してよかったと思いました。■ 日本では「テラ・ルネッサンス」が活動
この映画はアメリカの若者が、スーダンの戦争のことをしりたくて三人でアフリカに渡り、ウガンダで見た子ども達の姿です。さらわれて少年兵にされないように、夜になると子どもたちは街の病院のような身を守れるところへ移動します。実際に連れ去られて経験したことをインタビューで語る少年達。この姿は以前、鬼丸さんから聞いていたので、映像と彼の話がつながりました。映像の最後には、周りの人に伝えて欲しい、お金も必要であると訴えていました。何ができるか考えて行動して欲しいと結んでいました。
2004年にGAIAの会で「Yes Peaceシリーズ」を10回しました。第6回目だったと思いますが、この話にでてくる少年兵たちの話を聞いた鬼丸さんという男性が、本当なのだろうかとアフリカを訪ね、元少年兵たちに会ってきました。本も2冊出ていると思います。そして社会復帰するNGO「テラ・ルネッサンス」をたちあげています。■ 戦争を無くすには?
上映後、周りの人5人くらいと話し合う場が設けられていました。私の参加したグループには、戦争中小学3年生だった年配の女性も杖をついて参加。彼女は戦争は勝たねばならない、というようなことを言っていた。そして男は戦うものだとも言っていた。■ 人類の夢のような、奇跡のような「憲法九条」
しかし、ガンジーという人を思いだせばいい。非暴力であの大英帝国から独立を勝ち得た歴史的事実があり、それらを受け継ぐ人々が世界に日本にいる。
沖縄の伊江島のおじいさん(ちょっと字がかけないので省略)、今、辺野古でアメリカの新たなる基地はいらないと座り込みしている人達、このような人達は非暴力を実践している人達。
もう一人の中年の女性は、もしアメリカに守ってもらわなければ、すぐ中国や北朝鮮から攻めてこられるという話を聞いて、それに同意している様子。
アメリカが日本を守ってくれるはずないし、暴力の応酬は始まったら果てしなく続くのに、まだこのような考えの人がいることにガックリ。といってもそれをうまく説明はできない私。別の中年女性と私は非暴力を訴えた。また私は九条で、コスタリカのように、世界の平和外交をして欲しいと話した。
難民問題も、少年兵の問題も、貧困問題も、テロもみんな紛争がなくなればおきてこない。戦争がなければいい。そこにたどりつく。簡単な解決方法だ。そしてまた簡単にそれらは可能だ。武器をなくせばいい。素手でなぐりあったところで死ぬということはない。人権侵害も環境破壊までいたらないでしょう。■ 真理は簡単
真理は簡単なのに出来ないのなぜ?■ プロジェクト「Ban-DU -62」62はピースボートの第62回クルーの意。
人類一人一人が武器はいらない! と思った時、思った時にそれは可能になる。
日々の生活のなかで、世界の人々とつながっている私達の日常の生活をみつめること、世界でおきている事実を知ること、想像して感じること、どうしてそうなるかを考えること、そして一歩行動すること。いつもここにたどり着く。
今は6月19日午後4時、一路スペインのバルセロナにむかって航行中。ナポレオンの生まれたコルシカ島を12時ごろ通りすぎ、明朝、芸術の都バルセロナに寄港予定です。■ ポンペイ遺跡のパン屋さん(写真) 粉を挽く臼とパンを焼く釜
夕方から、船内でうまれたプロジェクト「Ban-DU -62」の会合に出る予定。
DUとは劣化ウラン弾のこと。5月に国際的な会議でクラスター爆弾の禁止条約に日本も批准したと、豊田直巳さんの講演で聞き、この勢いで日本だからこそ行動していかなければならないウラン兵器廃絶の国際条約が結ばれるよう何かできないだろうかと、立ち上がり、その相談をします。若い人たちが中心です。これに関わることで少しづつ勉強する方向に自分を持っていこうと思って。

西暦79年8月24日、日本では弥生時代の中〜後期、ベスビオス火山の噴火で5〜6mの灰にうずもれたポンペイの街。150年前から発掘され、あと5分の1が残っているそうです。壮大な面積で、2時間ぐらいの時間では垣間見た感じですが、町並みははっきりわかり、馬車のわだちもあり、80m置きくらいにある水飲み場では人が手を置く位置の石がま〜るくぼんでいました。壁・床を空洞にしボイラー室から蒸気をおくるサウナもあり、その風呂屋の前にはスタンドバーのようなお店があり………….と年月を感じさせないいまとそれほどかわらないような発達した暮らしがそこにはあったようです。