風"s・風のたよりオンライン版


2008/6/2 No.131

風のたより131号 ピースボートより その2 中東オマーンのサラーラを後にして

 いつものように夕食後、夕日を見にデッキにいたところ、歓声があがった。イルカだ! 船がイルカ群のなかに入っていったようだ。
 前方にイルカが見え、その後左舷に遠くでも何匹か確認できた。きっと海の中たくさん泳いでいたのだと思う。
 いままで見たのは、飛び魚とかもめ。「かもめが飛んだ〜 かもめが飛んだ〜」船と一緒にいっぱい飛んでいた。手がとどくところまで来るかもめ。かもめのおしっこか…..きらきら光って海へ落ちていった。天井から釣り下がっているモビールのような鳥が、実際に目の前を自由に飛んでいる姿にうれしくってしかたない私でした。
 さて、風のたよりに報告が始まったのはつい先日。船は5月14日に出港以来日々講座があるのでいつ追いつくのかわからない。印象に残った講演をお知らせします。
■ 吉岡達也
 ピースボートの生みの苦しみを知る唯一のスタッフの話  5月14日
■ はじめ25年続くと思わなかった。
 4畳半の下宿が事務所。学校は早稲田、学校にあまり行かなかった。教科書問題があった。センター試験の第一世代、教科書を丸暗記させられ、おもしろくないとおもってきたところに教科書問題。日本の中国侵略のことは知らなかった。だまされていたのだ。「自分らで何がおこっているのか見てこようではないか。」と思った。当時は冷戦時代だった。
■ 中学3年生の時、「歴史が変わるのだ!」と強烈な印象
 1975年4月30日。先生が「地図帳を出しなさい。ベトナムは2つあるでしょう。今日1つになりました。線を消しなさい」と言った。
 歴史は変わるのだ! 地図って変わるのだと強烈な印象。ベトナムもなかなか行けなかった所。東西冷戦で行けないところへ行きたかった。
 伊藤千尋さんは朝日のアエラ編集にかかわった花形記者。世界に対抗する雑誌にするのだと言っていた彼と、ルーマニアで12月のクリスマス前後フリーランスやっていて出会った。彼はルーマニアの町を風をきって動いていた。その姿は世界の最前線にいるのはこういう人だと思った。
■ アルジャジーラはインターナショナルで近代的
 イラクで起こっていることは何かわからない、自粛自粛でジャーナリストはぜんぜん現地へ行かない。フリーのジャーナリストが行って得た情報を買う。そんな時代の中、香田さんの野次馬根性は軽率と思われることもあるけれど、間違っていない。事件がおきた時、お母さんが東京から出てこられ相談された。
 それは、高遠さんの時、アルジャジーラのジャーナリストにピースボートの水先案内人(講師)として乗船しててもらっていたつながりがあり、「高遠さんたちは、NGOの人で自衛隊とは関係ない」ということを伝えに、家族のビデオを持っていこうと計画して、本当に行った。
 近代的な日本の報道社よりはるかにインターナショナル、アルジャジーラの編集長が東京から来た僕を粋に感じてくれた。「ありがとう」とも言い、その事実は、私たち自身がアラブ人として許せない。3人を開放するために生放送で3回流してくれた、普通はありえないこと。そんなことがあって、香田さんのお母さんが尋ねてこられた。
 3日間、お母さんと一緒でした。彼は確かに軽率だった。彼は思い悩んでいた。そんな手紙がお母さんに来ていたという。
 記者会見の時に「自衛隊の派兵を反対しますか?」と聞かれたらどう返事するか? ということも相談していた。
 その文章をさして「これなんですよね」「これなんですよね」となんどもつぶやいたことが印象的だった。記者会見では自衛隊派遣は反対とは言わなかった。イラクの情勢は高遠さんの時より悪くなっていた。
 1ヵ月後に実家にお参りに行った。その時にあの記者会見の時、自衛隊のこと反対を言いたかった。でも言えなかったのは妹さんがいたからとわかった。日本社会のバッシングを高遠さんのことでみているので、お母さんは心配され自粛された。
 留学生が何人も僕に言ってきた。香田君のことはおかしい。コメンテーターは本当のこと言っているのか? 流されてしまっているのではないか?
■ 本当のことを知って、自分の生き方をみつけていきたい。
 本当のことを知って、自分の生き方をみつけていきたい。と、後先考えず一歩ふみだした。ファーストフード店などで案内書を出す封筒はりをした。3年してベトナムへ行った。始めは2週間くらいの旅だった。灰谷健次郎、手塚治さん、本多勝一さんなども参加してくださった。1990年に初めて地球一週。「あほなことすな」と言われた。4億円5千万。貸してくれる人はいない。船をギリシャから借りた。
 ギリシャ出発。8便にわかれて成田からまずは出発。900人集まった。オセアノス号。わからないことだらけ。
 「日本人が3ヶ月休み100万円以上かけて、誰がくるか!」と言われた。
 やってみたら、ありとあらゆる問題が出てきた。食事のこと。ギリシャの船だからギリシャの料理しかでない。毎日オリーブオイル、いらいらしてきた乗客。
■ 闇のおにぎり販売
 気転の利く人が、寄港地で、日本食の食材、炊飯器を購入、うわさでは、闇のおにぎりがでまわっているとのこと。でも真実でした。ある日レセプションへ血相かえて、湯気をたて、訴えにきた婦人がいた。「あのおにぎり300円だったの今日は800円。ひどすぎると思いませんか?」と………。
 いろんなことやってみないとわからない。
■ 湾岸戦争に出くわす
 ペルーの日本大使館事件の時、ちょうどペルーに行っていた。平和的解決して欲しいと手紙を渡した。フジモリ大統領は会ってくれた。そのあと出航して3日後突入した。「ちょっといい加減にして!」という思いでした。
 ギリシャから西まわり。日本が寄港地だったこともあり、一瞬だけ家に帰った人もいました。
 インド洋にさしかかった時湾岸戦争。イエメンの直前でした。そのころ僕は船の先回り先回りをして港の交流会やツアーの準備していた。そのためイエメンにいた。今朝、戦争が始まった。日本はブッシュを支持。午前7時。イエメンはフセイン支持。敵国だ。空の便で脱出。離陸して1時間したら湾岸戦争はじまりました。この便はどこへいくかわからないと機長のアナウンス。連絡とれない。
 船から聞くと現地はOKという。日本人900人を乗せピースボートはイエメンに向かっていた。現地でのプログラムは、
■ アデン(イエメン)でおでん
 イエメンの人におでんを食べてもらおうと企画した。食べているその周りでイエメンの人はサダム!サダム!と言っていた。
 ピースボートを練習標的にして低空できて、看板で急上昇、そんな訓練をしていた。
 パイロットに戦争反対せないかんな〜と船上から垂れ幕を作ってアピール。
 カイロへ行った時のこと。日本大使館ほど頼りにならないものはない。スエズ運河は封鎖されなかったが、デマのFAXが機雷封鎖と流れていた。
 サウジアラビア政府やNGOはそれは間違いと認めた。日本大使館は「どうしても来られるのですか?スーダンではいけませんか?」 スーダンはエジプト以上に危ない。「私たちはやれることはありません。」これらが日本大使館の返事だった。
■ 平和伝書鳩を飛ばそう!
 カイロのアメリカ大使館とイラク大使館に、PBスタッフ・有志・ボランティアで鳩の白い羽根を作り、5〜6人が鳩のぬいぐるみを着て、白いタイツをはいて、「ピースボートの船の上で和平会談してください」という手紙を渡すべく、カイロからタクシーでイラク大使館へ行った。その格好で降りた瞬間逮捕。帰国してからその手紙は送ったけれど…。
■ 1000個のガスマスクを用意してイスラエルへ?
 最後の寄港地がイスラエル。スカットミサイル、毒ガスの入ったミサイルが打ち込まれるかもしれないという。カイロ出航してからどうしましょうという会議。全員で話し合った。有名な軍事評論家、前田哲夫さんが全部現状説明。戦争地域に行くので、戦争が起こったら何千万円と戦争保険がかかる。
 参加者負担一人7万円。投票を船内で実施。反対2。乗客790人ほとんど行く。気の早い人は7万持ってきた。船が着く3日前に、スタッフと二人で入国できるかエルサレムに行った。
 イエメンの後。大変な状況。ホテルのチェックインの時3点セットを渡された。
 マスク、ワンショット解毒剤、ボールペンのようなものは足に刺す。カッターがついていて肌についた糜爛を中和させる。イスラエルの入港関係・旅行会社は「だいじょうぶだいじょうぶ」ガスマスクさえ用意したらOK OKという。
 走り回って、1000個のガスマスク、メディアにもパレスチナ人道支援もあったので世界的なメディアBBC、CNAなど5つぐらい取材にきて港で待機。「日本人ガスマスクかぶって800人下船する!」実現の一歩手前、船長がスカッとミサイルがなんとかいう町に落ちたら危ない。それが入港5時間前に飛んで、船長の判断で回避、断念。これが1回目でした。
■ 1995年の神戸が大事な年
 ピースボートも1000人ボランティアを集めて(茶パツの若い人、ひきこもりもPBもかかわってやっている)いろいろやった。ピースボートのノウハウと良く似ている。サバイバル術は、海外でも、被災地も一緒。2000台中古自転車を贈った。自転車が抜群に役に立った。
 昔、リサイクル自転車をピースボートの船上で磨いて、きれいにして中国の青年団に渡していた。震災の時は、放置自転車を10トントラックに載せて運んだ。
■ 相手の気持ちを考える
 自転車を持って明日来ますということを連絡しておく。土地柄がある。簡単に言うと神戸おばちゃんも大阪のおばちゃんも似ている。「もっといいの頂戴!」被災地であろうがキャラクターは変わらない。ボランティアが無造作に渡す。
 ボランティアの消防団のまじめなおじさん。「だめです!」おばさんもきれる。被災者のこと考えていない。ちゃうちゃう。こつがある。一緒に困る。「でもね〜あれ出すの大変ですしね〜。どうしましょうかね〜」ものの1〜2分たつと「もういいわ〜」となる。
 大事なこと。相手の気持ち、善意は考えなければ。
 援助を申し出たところ、アフリカ・エリトニアの大学教授は「ピースボートの援助は持ってきていらない」と言う。援助はエイズと一緒、なんでもくださいという国もあるが、自国民の力を弱めていく。
 相手の気持ちを考えないと、相手の琴線に触れる。
■ 万景峰号の話
 ユニークなのは各部屋にご真影がある。日本でもかって身を挺して陛下の写真を持ち出す。こういう感じがあった。船員たちはご真影を見ずにはたきかける。似ていると思う。
 船のつくりのバランスが悪い。大きさが高い。もともとそうでなかった。ホールの天井が低い。「高さを倍にしなさい」の一声でそうなった。
 北朝鮮とつきあってみる意味はある。全員が全員、崇拝しているわけではない。しょうがないでやっていて、言ったらどうなるかわからないからそのような体制でおとなしく生きてかざるを得ない。そんな状況は怖い。
 センセーショナルなところばかり報道される。スーパーモーニングで拉致問題で有名な人と対談した時のこと。TVは怖い。彼曰く「平和的共存できる、対話という君たちが悪い。」ふと後ろふりむくと恵さんのお写真、自分の後ろみたらキムジョイルの写真。なんでそういう配置? メディアの技。気をつけてください。
■ 是非行きましょう! 北方4島
 北方4島、日本固有領土と言っているのになぜ行ってはいけない?
 理屈はあるにはある。ムネオハウスは大工さんと行ったけど2億円といわれるが、絶対かかっても2千万円のしろもの。現地視察しなければわからない。検証しましょう。スキャンダルなっているのに、行きたいと言ったら、日本はロシアの当局にこの団体いれないようにという。
 国後島の川は水面が見せないくらいさけが上ってくる。自然がすごく残っている。ロシアと話あって、ここの自然は一緒に守りましょう。「世界遺産みたいにして、ルールを守りながら行きましょう」と呼びかけたい。
 日本はジャーナリストも国民も行けない。見えないようにしている。島民は、モスクワから遠いから何もしてくれないと言っている。敵対の気持ちではない。みなさん、是非行きましょう。見ないとわからない。

(5月14日の講演メモより、内容の聞き違えはあるかもしれません)

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