風"s・風のたよりオンライン版


2003/11/10 No.104

風のたより104号

「忘れないで・・・キャンペーン」その1
アフガニスタン「世界の目が関心を持ち続ける事が希望につながる・・・」

 風のたより76号で紹介した、シャハナズ・アクターさん(女性、オッケンデン・インターナショナル(OI)、ペシャワール事務所輸出マネジャー、パキスタン人)の言葉。今年もアフガン難民キャンプからスリッパソックス(1500円〜1600円)・手袋(900円)が届いています!

■ オッケンデン・インターナショナル(OI)
 フェア・トレードの商品「スリッパ・ソックス」や「手袋」など、日本のフェア・トレード団体ピープルツリーを通じて輸出している、イギリスに本部を置く世界的な難民支援NGOで、1984年からパキスタン北西部の国境地帯の難民キャンプで支援活動を続けています。難民の人々が不自由なキャンプ暮らしの中で少しでも自立した生活を送れるよう、手工芸品づくりや製紙、家畜の世話などの職業訓練を提供したり、子供たちのために28の学校を運営しています。グローバルヴィレッジ/フェア・トレードカンパニーは、1994年からOIの製品を共同で開発し、日本に紹介することで活動を支援しています。
 また、空爆によって新たな難民が生まれた2001年10月には、緊急募金の呼びかけで集まった800万円あまりの寄付をOIに送り、テントや毛布などの緊急物資の調達を支援しました。難民の人々がいつの日か故郷に戻り、平和な暮らしを再び送れるように、援助とフェア・トレードの両面から支えています。
■「希望を持っているか?」の質問に・・・
 「皆さんの関心があれば持てる」1988年にソ連が去ったが難民がいることを忘れていた。ソ連の侵攻は問題視したが、引き上げた時、国際社会は関心を示さなかった。難民問題を忘れていた。2002年1月アフガン支援会議が開かれたがそれが果たされたとしても5〜10年かかる。日本の援助も相当な額だが実際降りてくるには時間がかかりそうです。(2002年9月10日(火)ひょうご国際プラザ交流ギャラリー(神戸)にて)
■ みんな忘れてはならない
 侵攻により破壊された国々、続く対立
 2001年10月 米国のアフガニスタン侵攻
 2003年3月 米国のイラク侵攻
 対立が今も続くイスラエル・パレスチナ、チェチェン・ソ連・・・
■ ドキュメンタリー「マリナ・アフガニスタン・少女の悲しみを撮る」
 11月10日夜10時過ぎからNHK教育テレビで「マリナ・アフガニスタン・少女の悲しみを撮る」が放映された。監督が映画を撮る過程の1時間ほどのドキュメントだ。
★ 誰にもこの悲しみは伝えられない・・・
 アフガン人であるわれわれ自身以外は・・・
 瓦礫の街、カブール、23年間も続いた戦争。南部では今でも一歩間違えれば、再び混とんとした状態になる。 女性たちがつらい思いをした。母は息子を失い、妻は夫を失った。
★ 戦争が人間に対してどれほど残酷になり得るのか
 彼はずっと20年にわたり戦争にほんろうされる人々を撮ってきた。戦争というものが、どれほど汚いものか映画を通して描いてきた。
 画面はカブールの映画館。そこは徹底的に破壊されたまま。血のついた壁、映写室から銃砲が放たれた。タリバーン政権下では映画が一切禁止され、大量のフィルムも全部焼き捨てられた。
 彼はつぶやく「破壊するために何かを作るのでしょうか」「とても耐えがたいことです」実話をもとにして女性や子供を開放したい。
★ 笑えないマリナ
 主人公を求めて2カ月近く話を聞いた人は3,000人を超えた。ある日「お恵みください」と深い悲しみを宿した女の子が手を出した。それがマリナ。
 タリバーンが崩壊して1年200万人の難民が戻ってきた。
 マリナは5歳から13歳の8年間家族を養うため物乞いをしていた。父親はタリバーン政権下に拷問を受け歩けなくなっていた。親戚に借りた一部屋で家族が暮らしている。
★ 彼女は言う「神様、家族の分だけでもお恵み下さい。そうお祈りしていました。」
 カブール市内だけでもそのような子が5万人いる。
 夜の10時ころまで「お恵みください」「食べ物をください」と訴えた。
 殴りつけてくる人もいた。その時は「物乞いするより死んだほうがましだ」と思ったと言う。周りの誰も私のことなど気にとめていくれない。だれも話かけてくれない。
 今はみんな話しかけてくれる。礼儀正しい話し方もできるようになったと思う。
 もう二度ととあんなふうに戻りたくない。
 マリナには人としての誇りが悲しみの裏にある。
★ 戦争の傷が癒されるのは何世代もかかるかもしれない
 世界の人々に知ってほしい。悲劇の深さを。アフガニスタン人は一人ひとりに常に戦争が存在している十人に一人、約200万人が亡くなったともいわれている。
★ 真理の重さ
 「虹」をくぐると自由になれるというアフガンの伝説。始めは「虹」を少女がくぐって自由になるはずだった。戦争の傷と貧困の現実が監督をしてラストシーンを変えさせた。
 悲劇は今も続いているのだから、理想の心はやめたという。戦争が人々に落とす影を自分の方に引きつけようとしたが真理の重さに負けた。
 少女は檻のなかで縄跳びをする。虹を縄跳びでかけぬけるシーンは葬られたまま。
 2003年カンヌ映画祭で3つの賞を取りました。この映画は「虹」ではなく「アフガン・零年・OSAMA」に変わりました。
(ゆきこの感想)
★ 笑う場面で笑えず、悲しい場面で微笑むマリナ
 文字が読めないから、せりふは監督が口写し。「笑って」という場面でなかなか笑えない。悲しい顔をしてという場面で涙が流れてしまう。ダメダメ悲しい顔だけと要求されるマリナ。他の場面では、悲しい顔をしてと要求されたが微笑んでしまう。監督は怒る。真剣に怒る。大事な場面、タリバーン政権の偉い人の4番目の妻になる結婚式の場面だから。彼女にはその意味がわからないくらい幼い。13歳だもの。初めてお化粧してもらって微笑んだのだ。
 でも監督は囁く。「亡くなった2人のお姉さんのことを考えてごらん。歩けなくなったお父さんのことを考えてごらん。ひもじくて幼い兄弟と夜を明かしたことを考えてごらん」…と。もうマリナの目には涙。ひとたまりもなく涙。残酷な場面だ。監督も涙をぬぐっていたような気がする。東京で12月に上映だそうですが見てみたい。彼女は家族を養える半年分の働きをして、いつもの生活に戻った。画面では1年後14歳になった彼女の姿も見ることが出来た。少女からすこし大人になったような気がした。背ものびた。学校にいけることを夢みて施設で勉強しているという説明が流れた。後ろ姿をずーっと追うカメラ、しばらくして振り向くマリナ、手を振った。この映画への出演は大きく彼女を変えたと思う。とてもこころに響いたドキュメンタリーだった。解説者の一人が言った。「様々な国にいる大勢のマリナ」。
■ 映画「アフガン・零年・OSAMA」監督 アフガニスタンのセディク・バルマクさん
 11月9日毎日新聞「ひと」に紹介されていました。記事より。
★「何が起きたかを世界に伝えたかった」
 タリバーン政権下のアフガニスタン。母と祖母を養うために髪を切り少年に姿を変えた少女のおびえた目をカメラが追う。「タリバーン政権下で最も苦しんだ女性を純粋な少女を主人公として描くことで、何が起きたかを世界に伝えたかった」「アフガン・零年・OSAMA」(NHK共同制作、12月に東京で公開予定)でカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督)特別賞などを受賞。作品性の高さが評価された。
★ 最大の障害は「無知」だと考える
 アフガニスタン・パンジーシール生まれのタジク人。険しい谷で高校時代まで過ごした。6歳のとき、映画館の小さな穴から出る光が映像に変わる魅力に取りつかれた。
 モスクワで映画製作を学んで帰国後、徴兵された。兵役の一環としてとった短編が軍ににらまれ、故郷の谷に逃げて反政府勢力に加わった。
 映画のラストには当初、虹の映像を考えていたが、全く違うものになった。「国に帰ったとき、皆明るい夢を持っていた。しかし、復興への道筋は見えない。悲劇的な結末でも、観客が主人公の痛みを共有し、自分にできることを考えてくれれば、新しい始まりになる」復興の、最大の障害は「無知」だと考える。
 日本賞を30回記念シンポで訴えた。「80%の人が文字を読めない。校舎も教師も教科書もすべて足りない。子供たちに互いの理解を深めてほしい。愛することを学んでほしい。教育は戦闘を平和に置き換えられる」

P.S. このごろ映画に参った! と思う私です。土井ゆきこ


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